には到底考えつかないような新しいアイディアがいくらも浮かびそうなものだと思われるがそうした実例が日本映画のおびただしい作品の中にいっこうに見られないのは残念な事である。それでたとえば昔、広重《ひろしげ》や歌麿《うたまろ》が日本の風土と人間を描写したような独創的な見地から日本人とその生活にふさわしい映画の新天地を開拓し創造するような映画製作者の生まれるまでにはいったいまだどのくらいの歳月を待たなければならないか、今のところ全く未知数であるように見える。そこへ行くと、どうもアメリカの映画人のほうがよほど進んでいるといわれても弁明のしようがないようである。これは自分が平常はなはだ遺憾に思っている次第である、日本がアメリカに負けているのは必ずしも飛行機だけではないのである。このひけ目を取り返すには次のジェネレーションの自覚に期待するよりほかに全く望みはないように見える。
[#地から3字上げ](昭和十年二月、高知新聞)

     六 麦秋

 だいぶ評判の映画であったらしいが、自分にはそれほどおもしろくなかった。それは畢竟《ひっきょう》、この映画には自分の求めるような「詩」が乏しいせいであって
前へ 次へ
全37ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング