がある。この映画では光の線条が映写幕上で音楽に合わせて踊りをおどる。これと、前述のようなレヴュー映画の場合に生きた人間で作った行列の線の運動し集散するのとを比較して見ると、本質的に全く共通なものがある。ただ相違の点は、一方ではそれ自身には全く無意味な光った線が踊り子の役をつとめているのに、他方では一人一人に生きた個性をもった人間の踊り子が画面ではほとんどその個性を没却して単に無意味な線条を形成している、というだけである。
それだのに、純粋な線条の踊りは一般観客にはさっぱり評価されないようである一方でレヴューのほうは大衆の喝采《かっさい》を博するのが通例であるらしい。ここに映画製作者の前に提出された一つの大きな問題があると思われる。
あまりに抽象的で特殊な少数の観客だけにしか評価されないようなものは結局映画館と撮影所とを閉鎖の運命に導く役目しか勤めない。しかし、また一方、大衆にわかりやすい常套手段《じょうとうしゅだん》をいつまでも繰り返しているのでは飽きやすい世間からやがて見捨てられるという心配に断えず脅かされなければならない。その困難を切り抜けるためには何かしら絶え間なく新しい可能
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