《はえと》り紙の場面には相当深刻な真実の暗示があるが、深刻なためにかえって検閲の剪刀《せんとう》を免れたと見える。
 兵隊が帰って来た晩の街頭の人肉市場の光景もかなりに露骨であるが、どこか少しこしらえものらしいところもある。
 フロランスという女に最初に失望する場面と後にも一度失望する場面との対照がもう少しどうにかならないかという気がする。しかし最後に絶望して女の邸宅を出て白日の街頭へ出るあたりの感じにはちょっとした俳諧が感ぜられなくはない。まっ白な土と家屋に照りつける熱帯の太陽の絶望的なすさまじさがこの場合にふさわしい雰囲気《ふんいき》をかもしているようである。

     十七 男の世界

 生粋《きっすい》のアメリカ映画である。今までに見たいろいろの同種の映画のいろいろの部分が寄せ集められてできあがっているという感じである。しかしただ、ポウェルという男とゲーブルという男との接触から生じるいかにもきびきびした歯切れのいい意気といったようなものが全編を引きしめていて観客を退屈させない。
 拳闘場《けんとうじょう》の鉄梯子道《てつばしごみち》の岐路でこの二人が出会っての対話の場面と、最後に監獄の鉄檻《てつおり》の中で死刑直前に同じ二人が話をする場面との照応にはちょっとしたおもしろみがある。
 ゲーブルの役の博徒《ばくと》の親分が二人も人を殺すのにそれが観客にはそれほどに悪逆無道の行為とは思われないような仕組みになっている。二度目の殺人など、洗面場で手を洗ってその手をふくハンケチの中からピストルの弾《たま》を乱発させるという卑怯千万《ひきょうせんばん》な行為であるにかかわらず、観客の頭にはあらかじめ被殺害者に対する憎悪《ぞうお》という魔薬が注射されているから、かえって一種の痛快な感じをいだかせ、この殺人があたかも道徳的に賛美すべきものであるような錯覚を起こさせピストルの音によって一種の快いスリルを味わわせる。映画というものは実際恐ろしい魔術だと思われる。
[#地から3字上げ](昭和十年六月、渋柿)



底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年11月20日第1刷発行
   1963(昭和38)年6月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年9月5日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:多羅尾伴内
2003年5月18日作成
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