なるのではないか。あの間隔をもっとつめるか、それとも、もっと「あわただしさ」を表象するような他のカットの※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入《そうにゅう》で置換したらあの大切なクライマックスがぐっと引き立って来はしないかと思われる。
 両国《りょうごく》の花火のモンタージュがある。前にヤニングス主演の「激情のあらし」でやはり花火をあしらったのがあった。あの時は嫉妬《しっと》に燃える奮闘の場面に交錯して花火が狂奔したのでずいぶんうまく調和していたが、今度のではそういう効果はなかったようである。しかし気持ちの転換には相当役に立っていた。
 衣笠《きぬがさ》氏の映画を今まで一度も見たことがなかったが、今度初めて見てこの監督がうわさにたがわずけた違いにすぐれた頭と技倆《ぎりょう》の持ち主だということがわかったような気がする。将来の進展に期待したい。ただし、このトーキー器械の科学的機構は未完成である。言語が聞き取れないために簡潔な筋のはこびが不明瞭《ふめいりょう》になる場所のあるのは惜しい。
[#地から3字上げ](昭和九年九月、文学界)

     九 カル
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