て来る男の子がどの俳優よりもいちばん自然で成効しているように思われた。このことは映画俳優の演芸が舞台俳優のそれと全くちがった基礎の上に立つべきものだということをわれわれに教えるものではないかと思われる。ロシア映画で教養も何もない農夫が最も光ったスターとして現われ、アメリカ映画でも土人のほうが白人の映画俳優の下っぱなどより比較にならぬほどいい芝居をして見せるのも同様な現象である。自然を背景とした芝居では人間もやはり自然な芝居をしなければつりあわないであろう。
こういう意味からすれば、にんじんの父も母も女中もおじさんも皆少し芝居をし過ぎるような気もするが、しかし元来西洋人は日本人に比べると平生でも挙動がだいぶ芝居じみているから、あれぐらいはちょうどいいのかもしれない。
この映画に現われるフランスの田舎《いなか》の自然は実に美しい。二十世紀のフランスにもまだこんな昔の田舎が保存されているかと思うと実にうらやましい気がした。コローやドービニーなどの風景画がそっくり抜け出して来たように思われてうれしかった。日本ではおそらくこんな所はめったに見られないであろう。そういう田舎の名づけ親のおじさん
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