はこれに対して不断に攻勢を取って、単調な攻撃をほぼ一様なテンポで繰り返しているように思われた。なんとなく少しあせりぎみで、早く片を付けようとして結末を急いでいるらしく自分には思われた。ちょっと見たところでは、ベーアのほうは負けかかって逃げ回っているようにも見られた。
絶えずあとしざりをしているものを追いかけて突くのでは、相対速度の減少のために衝撃が弱められる、これに反して向かって来るのを突くのではそれだけの得がある、という事は力学者を待たずとも見やすい道理であるが、ベーアは明らかにこれを利用して敵の攻撃を緩和し、また敵の運動量を借りて自分の衝撃を助長しているように見えた。カルネラはそんなことなどは問題にしないと見えて絶えず攻勢を持続するのはよいが、やみなしに中庸な突きを繰り返しているのは、仕事の経済から見ても非常に能率の悪いしかたで、無益の動作に勢力をなしくずしに浪費しているように見えるのであった。ベーアはできるだけエネルギーを節約し貯蓄しておいて、稀有《けう》な有利の瞬間をねらいすまして一ぺんに有りったけの力を集注するという作戦計画と見られた。十回目あたりからベーアのつけていた注文の時機が到来したと見えて猛烈をきわめた連発的打撃に今までたくわえた全勢力を集注するように見え、ようやく疲れかかったカルネラの頽勢《たいせい》は素人目《しろうとめ》にもはっきり見られるようになった。
第十一回目のラウンドで、審判者はTKOの判定を下してベーアの勝利となったが、素人がこの映画を見ただけでは、どちらもまだ何度でも戦えそうに見え、最後に気絶して起きられなくなるようなところはこの映画では見られなかった。
とにかく体力と知力との戦いとして見るときに、自分のような素人《しろうと》にもこの勝負の特別な興味が感ぜられるのであった。
カルネラは体重一一九キロ身長二・〇五メートル、ベーアは九五キロと一・八八メートルだそうで、からだでは到底相手になれないのである。
しかし闘技中にカルネラは前後十二回床に投げられた。そのうちの一回では踝《くるぶし》をくじかれ、また鼻をも傷つけられ、その上に顔じゅう一面「パルプのように」ふくれ上がり、腹や脇腹《わきばら》にはまっかな衝撃の痕《あと》を印していたそうである。
マクス・ベーアはサンフランシスコ居住のユダヤ系の肉屋だそうである。この「ユダヤ種」
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