げてぴょんぴょんとはねさせるのである。こういうふうに人間の個性をなくしているところは全く軍隊式である。年じゅうこのとおりだったら梟《ふくろう》やたぬきのような種類の人間にはさぞ都合が悪いことであろうと思われたのであった。これはこの映画を見たときにちょっとそう思ったことである。
 この映画でもっとも美しいと思ったのはアパートのバルコンのような所へおおぜいの女が出て来て体操をする光景である。これは全く理屈なしに明るく力強く新鮮で朝日ののぼるごとき感じのするシーンである。同じ体操でも前の工場の体操とはまるで別な感じがするのは不思議である。工場の場合にはすぐ前の労働のシーンとの関係上あまりに実感的であるのにバルコンのほうではそれがあまりに見なれぬ変わった光景であるために、あっけにとられて現実の感じがどこかへ飛んでしまい、いわばレビューでも見るような気になって見たせいかもしれない。しかしどうだかそれはわからない。
 この映画と同時にロシアのニュース映画を見た中に、たぶんカリニンであったか、野羊《やぎ》ひげのにがい老人が展覧会を見てあるくところがあった。この映画を見ながら、英雄崇拝は結局永久普遍に不可避的な人間界の事実だというような気がした。われわれが見るとムッソリニが閲兵式に臨んでいるニュース映画もこれと全く同格な現象のニュースとして実におもしろく見られるのである。
[#地から3字上げ](昭和七年三月、東京帝国大学新聞)

       六

 評判のフランス映画「パリの屋根の下」というのを見物した。同じく評判のドイツ映画「青い天使」のすぐあとでこのフランス的なるフランス映画を見たことは望外のおもしろい回り合わせであった。さもしい譬喩《ひゆ》ではあるが、言わばビフテキのあとで良いサラダを食ったような感じがある。あるいはまたドイツの近代画家の絵とフランス近代画家の絵との二つの展覧会を続けて見たという感じもする。これは当然なことであろうが、しかしこれほどまでに二つのちがった国民に対する自分の感じの特徴を表象した二つの映画をこのように相次いで見うるという機会はそう始終はないであろう。そうしてもう一つおもしろいことには、そのあとでまた、無声ではあるが、ソビエト映画の「大地」を見て、そして最後に大日本松竹国産発声映画「マダムと女房」というのを見ることになったのも思えば妙な回り合わせである。
「パリの屋根の下」にはたいしたドラマはない。ちょっとしたロマンスはあるが、それはシャボン玉のようなロマンスである。ちょっとしたけんかはあるがそれもシャボン玉のようなけんかである。ピストルも一発だけ申し訳にぶっ放すが結果は街燈を一つシャボン玉のようにこわすだけである。この映画の中に現われている限りの出来事と達引《たてひき》とはおそらくパリという都ができて以来今日に至るまでほとんど毎日のようにどこかの裏町どこかの路地で行なわれている尋常|茶飯《さはん》のバナールな出来事に過ぎないであろう。それほどに平凡な月並み、日並み、夜並みの市井の些事《さじ》がカメラと映写機のレンズをくぐり録音器の機構を通過したというだけでどうして「評判の映画」となり、世界じゅうの常設館に渡り渡って人を呼ぶであろうか。もちろん観客の内の一部はたぶんそれが評判の映画であるために見ないうちから感心してそうして無条件にその評判をのみ込んでしまうであろうが、すべての観客はそれほどの鵜《う》の鳥でない限りこの評判には何かの実証的根拠があるはずであろう。
 この映画にもやはりだれでもすぐに気のつく、そうしてだれにでも簡単な言葉で表現されうるようなうまい見せ場はたくさんある。たとえばいちばん始めに映出される屋上の「煙突のある風景」が最後にもう一度現われて、この一巻の「パリのスケッチ」の首尾の表軸となり締めくくりをつけていることなどがそれである。また始めにはカメラが、従って観客が、あたかも鳥にでもなったように高い空からだんだんに裏町の舗道におりて行って歌う人と聞く人の群れの中に溶け込むのであるが、最後の大団円には、そのコースを逆の方向に取って観客はだんだん空中にせり上がって行って、とうとう天上の人か鳥かになってしまう。そうして地獄を見物に行って来たダンテのように、今見て来た変わった世界の幻像をいつまでもいつまでも心の中で繰り返し蒸し返すように余儀なくされるのである。あるいはまた艶歌師《えんかし》アルベールが結婚の準備にと買って来た女のスリッパーを取り出す場面と切り換えに、ポーラが自分の室《へや》ではき古したスリッパーをカバンにしまっているシーンが現われたり、またアルベールが預かったカバンの係り合いで捕われて行くのとポーラが重いカバンをさげて嫁入りして来るのとをぶつからせたり、こういう種類の細かい技巧をあげれば
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