と自分とはひとまず完全に縁が切れてしまった。今でも自分には活弁の存在理由がどうしても明らかでないのである。
自分が活動写真の存在を忘れているうちに、活動のほうでは、そういう自分の存在などは問題にしないで悠々《ゆうゆう》と日本全国を征服していた。長男が中学へ入学したときに父兄として呼び出されて行った。その時に控え室となっていた教場の机の上にナイフでたんねんに刻んだいろいろのらく書きを見ていたら、その中に稚拙な西洋婦人の立ち姿の周囲にリリアン・ギッシュ、メリー・ピクフォードなどという名前が彫り込んであった。自分の中学時代のいたずらを思い出すと同時に、ひどく時代におくれたものだという気がした。
荒物屋|駄菓子屋《だがしや》の店先に客引きの意味でかかっている写真の顔が新聞やビラの広告に頻繁《ひんぱん》に現われる。聞いてみるとそれがみんな活動俳優のいわゆるスターだそうである。幕末勇士などに扮《ふん》した男優の顔はいかなる蛮族の顔よりもグロテスクで陰惨なものであるが、それが特別に民衆に受けると見えてそれらの網目版が至るところの店先で自分をにらみつけ、脅かし圧迫した。
長い間縁の切れていた活動
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