景やセットの同じものを便宜上一度にとってしまうという事も必要になって来る。建築の場合に鋳物は鋳物、ガラスはガラスというふうに別々にまとめて作らるると同様である。
こういうふうにしてできあがった部分品を今度は組み立てて行く「総合」「取り付け」の仕事がこれからようやく始まる。すなわち芸術家としての映画監督の主要な仕事としてのいわゆるモンタージュの芸術が行なわれるのである。
シナリオを書くまでは必ずしも映画の技術に精通しない素人《しろうと》でも多少「映画的表現」すなわち「映画の言葉」を心得た人ならばある程度まではできないことはない。なんとなればそれは文学から映画への途中の一段階であって、まだ片足だけしか映画の領域に踏み込んでいないからである。それゆえにたとえば「貧しい部屋《へや》の中で」とか「歓喜に満ちて」とか、そんな漠然《ばくぜん》とした言葉を使ってもいいかもしれない。しかしいよいよ撮影を実行する前にはこれでは全く役に立たない。「貧しさ」を「映画の言葉」すなわち、これに相当する視覚的な影像に翻訳しなければならない。たとえば極貧を現わすために水道の止まった流しに猫《ねこ》の眠っている画面を出すとか、放免された囚人の歓喜を現わすのに春の雪解けの川面《かわも》を出すとか、よしやそれほどの技巧は用いないまでも、とにかく文学的の言葉をいわゆるフォトジェニックなフィルミッシな表現に翻訳しなければならない。
しかしそれだけではまだ映画の撮影台本にはなり得ない。一つ一つの画面断片の含むフィルムのコマ数、あるいはメートルであらわしたその長さ、あるいは秒で数えたその映写時間を決定しなければならない。そうしてそれらの断片が何個集まって一つの系列あるいはエピソードを成すかを決定してその全長を計算し、そういう系列の何個が全編を成すかを定めなければならない。
実際には、監督の人によっては、かなりにルースな方法による人はあるであろうが、原則としてはともかくも上記のごとき有機的に制定された道筋を通らなければ一編の有機的な映画はできるはずはないのである。いわゆる「カフスに書いた覚え書き」によって撮影を進行させ、出たとこ勝負のショットをたくさんに集積した上で、その中から截断《せつだん》したカッティングをモンタージュにかけて立派なものを作ることも可能であろうが、経済的の考慮から、そういう気楽な方法はいつでもどこでも許されるはずのものではない。
以上述べて来ただけのことから考えても映画の制作には、かなり緻密《ちみつ》な解析的な頭脳と複雑な構成的才能とを要することは明白であろう。道楽のあげくに手を着けるような仕事では決してないのである。
「分析」から「総合」に移る前に行なわるる過程は「選択」の過程である。
すべての芸術は結局選択の芸術であるとも言われる。芸術家の素材となりその表現の資料となるものはわれわれの日常の眼前にころがっている。その中から何を発見してつまみ上げるかが第一歩の問題であり、第二は表現法の選み方である。映画芸術家の場合でも全く同様であって、一つの映画の価値を決定するものは全く、フィルミッシな素材とそれのフィルミッシな表現法の選択であると言ってよい。「貧しさ」「うれしさ」の視覚的代表者をどこから拾って来るか、それをいかなる距離、いかなる角度、いかなる照明で、フィルムの何メートルに撮影し、それを全編のどの部分にどう入れるか、溶明溶暗によるかそれとも絞りを使うか、あるいは重写を用いるか。これらの選び方によって効果には雲泥《うんでい》の差が生じるのである。
いかなる材料のいかなる撮影が効果的であるかを判断するためには映画家は「カメラの目」をもつことが必要である。プドーフキンは爆発の光景を現わすのに本物のダイナマイトの爆発を撮《と》ってみたがいっこうにすごみも何もないので、試みにひどく黒煙を出す炬火《たいまつ》やら、マグネシウムの閃光《せんこう》やを取り交ぜ、おまけに爆発とはなんの縁もない、有り合わせの河流の映像を插入《そうにゅう》してみたら、意外にすばらしい効果を生じて、本物の爆発よりははるかに爆発らしい爆発ができたそうである。また、エイゼンシュテインは港の埠頭《ふとう》における虐殺の残酷さを見せるために、階段をころがり落ちる乳母車《うばぐるま》を写した。
「彫刻家が大理石とブロンズで考えるように、映画家はカメラとフィルムで考えそうして選択することが第一義である。」
役者の選択についても同様である。舞台の名優は必ずしもフィルムの名優ではない。ロシア映画ではただのどん百姓が一流の名優として現われる。アメリカふうのスター映画でさえも、画面に時々しか顔を出さないエキストラのタイプの選択いかんによって画面の効果は高調されあるいは減殺される。
背景となるべき一つの森や沼の選択に時には多くの日子《にっす》と旅費を要するであろうし、一足の古靴《ふるぐつ》の選定にはじじむさい乞食《こじき》の群れを気長く物色することも必要になるであろう。
このようにして選択された分析的要素の撮影ができた上で、さらに第二段の選択過程が行なわれる。それはこれらの要素を編集して一つの全体を作るいわゆるモンタージュの立場における選択過程である。
だいたいのプロットに従って撮影されたたくさんのフィルムの巻物の中にはたくさんのむだなものが含まれている。とりそこね、とり直しがあり、あるいは撮影の際に得られたその場でのヒントによる余分の獲物もあるであろう。それで、使用されたフィルムの陰画《ネガチーヴ》の点検によって実際陽画に焼き付けられ映写さるべき部分を選び出すという大きな仕事がここから始まるのである。ティモシェンコのあげた例では千八百メートルの陽画映写フィルムを作るために六千メートルの陰画が消費されている。使ったもののやっと三割だけが役に立つ勘定である。これは非常なきびしい選択であると言わなければならない。しかしできあがった最後の作品の価値を決定するものは実にこの最後の選択の厳重さに係わるであろうと思われる。
要するに映画は截断《カッティング》の芸術である。たとえばスターンバーグの「青い天使」の台本と、いよいよできあがった作品とを比べてみても、いかに多くのものが切り捨てられたかがわかる(わが国での検閲の切断は別として)。チャプリンがその「街《まち》の灯《ひ》」の一場面を撮《と》るためにいかに多くのフィルムをむだにしているかは、エゴン・エルウィン・ウィッシュの訪問記を一見しても想像されるであろう。
このようにして行なわれる選択的|截断《せつだん》は言うまでもなく次に来るところの編集のための截断であり、構成のための加工である。一瓶《ひとかめ》の花を生けるために剪刀《せんとう》を使うのと全く同様な截断の芸術である。
映画成立の最後の決定的過程として編集術については以下に項を改めて述べる事とする。
映画の編集過程
たくさんな陰画《ネガチーヴ》の堆積《たいせき》の中から有効なものを選び出してそれをいかにつなぎ合わせるかがいわゆるモンタージュの仕事である。
モンタージュという言葉を抽出し、その意義を自覚的に強調したのはプドーフキン一派の人に始まるかもしれないのであるが、要するにモンタージュは平凡な「編集」という言葉をもって代用してもたいしてさしつかえないという事はプドーフキンの著書の英訳にエディチングという英語を当ててあることからも想像されるであろう。またこの著者がそのモンタージュを論じた一章の表題に「素材の取り扱い方」という平凡な文字を使い、そうしてその題下に「構成モンタージュ」「場面(景)のモンタージュ」「插話(エピソード)のモンタージュ」等の小区分を設けているのである。
映画素材から映画を作り上げる編集方法としてのモンタージュはそもそも映画始まって以来行なわれて来たものに相違ないのであるが、しかし初期の映画において、単に海岸に打ち寄せる波の遊びを見せたり、あるいは舞台演芸をそっくりそのまま写してみたりしたような場合にはあまり問題にならない事であった。しかし映画が単なる複製の技術としてのただの活動写真というだけの境界から脱却して、それ自身の独自な領域を自覚するようになり、創作の新しいミリューとして発見されると同時に行なわれはじめた映画制作の方法がすなわちこのモンタージュである。言わば映画の芸術的編集法とでも言ってよいものだと思われる。この言葉のもてはやされる以前に米のグリフィスや仏のガンスなどの実行したいろいろの独創的な効果的手法は畢竟《ひっきょう》モンタージュの先駆的実例を提供するものである。
しかしこの言葉の内容が細かに分析されるようになり、「併行モンタージュ」「比喩《ひゆ》モンタージュ」等種々の型式が区別されるようになってからはこれらモンタージュの理論的の討議がいろいろと行なわれるようになって来た。たとえばエイゼンシュテインはその「映画の弁証法」において、プドーフキンらのモンタージュ論の基礎的概念を批評し、これに代わるべき弁証法的モンタージュ論を提出し、のみならずこれに基づいた作品をこしらえようとした。しかし彼のこれらの試みはまた一派の人からは形式主義象徴主義に堕したものとして非難もされている。しかしこういう議論は映画理論家にとって、また特にソビエトの国是の上から重要かもしれないが、一般映画観賞者の立場からは、たいした意義をもたない事である。われわれにとってはその映画がおもしろいことが第一義である。八巻なり十巻なりの映写を退屈することなしに見ていられることが肝要であり、見たあとで全体としても細部としても深い感銘を印象されることが大切である。それにはイデオロギーの教養に無関係に世界の人間の心を捕えるものがなければならない。そうしてそれはロシア人にもフランス人にも日本人にも共通に通用するものでなければならない。そうだとすれば、それはまた必ずしも映画以来はじめて発明されたものではなくして、少なくも原理としてはすでにあらゆる他の芸術に存在していると同じような指導原理に支配されるものであろうという事は想像してもさしつかえがないであろう。実際プドーフキンでもエイゼンシュテインでも、ボラージュでもそれらの人々のモンタージュに関する論述を読むに当たって、その記述の表面に現われた具象的なものを適当にムタティス・ムタンディスに置き換えさえすればそれはほとんど完全に他の芸術の分野に適用されうることを見いだすであろう。これはむしろ当然なことである。主題の分析、選択、編成という過程にはすべての芸術に共通なものがなければならないからである。
まず手近なところでたとえば生け花の芸術を考えてみる。この場合は簡単に口で言われるような「主題」はないかもしれないが、花を生ける人の潜在意識の中に隠れたテーマがあってこそ一瓶《ひとかめ》の花が生け上げられるのである。そのテーマを表現すべき「言葉」として花と瓶とが選ばれる。花は剪刀《せんとう》でカットされた後に空間的モンタージュを受ける。この際にたとえば青竹送り筒にささげと女郎花《おみなえし》と桔梗《ききょう》を生けるとして、これらの材料の空間的モンタージュによって、これらの材料の一つ一つが単独に表現する心像とは別に、これらのものを対合させることによってそこに全く別なものが生じて来る。エイゼンシュテインはこれを二つのものの単なる組み合わせあるいは堆積《たいせき》すなわち彼のいわゆる叙事的な原理と見る代わりに、二つのものの衝突の中に観念を生み出し爆発させる力学的原理を認めようとしたようである。しかしわれわれのような観賞者の立場からすれば配合調和相生というのも、対立衝突|相剋《そうこく》というのも、作者の主観以外には現象としての本質的な差を認めなくても結果においてたいした差はないようである。要は結局エイゼンシュテインが視覚的|陪音《オヴァートーン》と呼び、あるいはむしろ視覚的|結合音《コンビネーショントーン》と呼ばるべきものを生み出すにあるの
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