はない。そのモンタージュは純然たる夢の編成法であり、しかもかなりによく夢の特性をつかんでいる。たとえば月を断ち切る雲が、女の目を切る剃刀《かみそり》を呼び出したり、男の手のひらの傷口から出て来る蟻《あり》の群れが、女の腋毛《わきげ》にオーバーラップしたりする。そういう非現実的な幻影の連続の間に、人間というものの潜在的心理現象のおそるべき真実を描写する。この点でこの種の映画の構成原理は最も多く連句のそれに接近するものと言わなければならない。この比較は、現在あるものよりもさらにより多く連句的なる非現実映画の可能性を暗示する。通例はそう思われていないドブジェンコの「大地」などはまさしくその方向への第一歩であるに相違ない。
前衛映画
映画を演劇や文学から解放して映画的な映画の天地を開拓しようとして起こされたいろいろの運動の試みがいわゆる前衛映画である。「アヴァンギァルドとは金にならぬ映画を作る人たちの仲間を言う」と揶揄《やゆ》した人がある。従来のこれらの試みは、すべてただ実験室的の意義しかないが、そういう意義においては尊重すべきものであるというふうに解釈されている。しかしそうば
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