映画の律動的編成についても言われるのである。そうして序破急と言いあるいは起承転結と称する東洋的モンタージュ手法がことごとく映画編集の律動的原理の中にその同型《ファクシミレ》を見いだすのである。
要するにこれらのモンタージュの要訣《ようけつ》は、二つの心像の識閾《しきいき》の下に隠れた潜在意識的な領域の触接作用によってそこに二つのものの「化合物」にも比較さるべき新しいものを生ずるということである。
識閾の上層だけでつながったものは、つまり一つの静的な像である。いわゆる付き過ぎた連句は、結局一句を二つに分けただけで「歩み」はない。同様に映画においても、たとえば単調なる「チャンバラ」の場面はいくら続いても、それは結局ただ一つのショットとしての効果しかない。これに反してたとえ識閾の上では単調な画面を繰り返していても、その底を流れる情緒の加速運動があれば観客は知らず知らずつり込まれ引きずられて行く。たとえば「パリの屋根の下」で町の歌い手が手風琴をひいて歌っている。その歌い手と聴衆が繰り返し繰り返し映写される。しかしその巧妙な律動的なモンタージュによって観衆の心の中の奥底には一つの葛藤《かっと
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