がある。たとえば蓄音機円盤が出勤簿レジスターの円盤にオーバーラップするとか、あるいはしわくちゃのハンケチを持った手を絞り消して絞り明けると白いばらの花束を整える手に変わる。あるいは室内のトランクが汽車の網棚《あみだな》のトランクに移り変わるような種類である。ところが、連句ではこれに似たことがしばしば行なわれる。たとえば「僧やや寒く寺に帰るか」「猿引《さるひ》きの猿と世を経《ふ》る秋の月」では僧の姿が猿引きの猿にオーバーラップ的に推移するのである。
映画で、まず群集を現わし、次にカメラを近づけてその中のヒーローを抽出し、クローズアップに映出して「紹介」する。連句でもたとえば、「入りごみに諏訪《すわ》の涌湯《わきゆ》の夕まぐれ」「中にもせいの高い山ぶし」は全くこの手法によったものである。
映画で同時に別々の場所で起こっている事がらの並行的なモンタージュによって特殊の効果を収める。「餅《もち》作るならの広葉を打ち合わせ」という付け句を「親と碁をうつ昼のつれづれ」という前句に付けている。座敷の父とむすこに対して台所の母と嫁を出した並行であり、碁石打つ手と柏《かしわ》の葉を並べる手がオーバー
前へ
次へ
全59ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング