選択の厳重さに係わるであろうと思われる。
要するに映画は截断《カッティング》の芸術である。たとえばスターンバーグの「青い天使」の台本と、いよいよできあがった作品とを比べてみても、いかに多くのものが切り捨てられたかがわかる(わが国での検閲の切断は別として)。チャプリンがその「街《まち》の灯《ひ》」の一場面を撮《と》るためにいかに多くのフィルムをむだにしているかは、エゴン・エルウィン・ウィッシュの訪問記を一見しても想像されるであろう。
このようにして行なわれる選択的|截断《せつだん》は言うまでもなく次に来るところの編集のための截断であり、構成のための加工である。一瓶《ひとかめ》の花を生けるために剪刀《せんとう》を使うのと全く同様な截断の芸術である。
映画成立の最後の決定的過程として編集術については以下に項を改めて述べる事とする。
映画の編集過程
たくさんな陰画《ネガチーヴ》の堆積《たいせき》の中から有効なものを選び出してそれをいかにつなぎ合わせるかがいわゆるモンタージュの仕事である。
モンタージュという言葉を抽出し、その意義を自覚的に強調したのはプドーフキン一派の人
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