映画芸術
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)麒麟児《きりんじ》である。

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)選択的|截断《せつだん》は

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)pp[#「pp」は縦中横、音楽記号のピアニッシモ] から

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Be'la Bala'zs : Der Geist des Films, 1930〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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     緒言

 映画はその制作使用の目的によっていろいろに分類される。教育映画、宣伝映画、ニュース映画などの名称があり、またこれらのおのおのの中でもいろいろな細かな分類ができる。しかしこれらの特殊な目的で作られた映画でも、それが広義における芸術的価値のないものであれば、それは決してその目的を達することができない。そういう意味においてすべての種類の映画の制作はやはり広義における映画芸術の領域に属するものと思われるから、ここではそういう便宜上の種別を無視して概括的に考えることにする。
 映画は芸術と科学との結婚によって生まれた麒麟児《きりんじ》である。それで映画を論ずる場合に映画の技術に関する科学的の基礎と、その主要なテクニークについて一通りの解説をするのが順序であるが、この一編の限られた紙数の中にこれを述べている余地がないから、ここではいっさいこれらを省略する。しかし大多数の読者がこの点について一通りの予備知識を備えているものと仮定してもおそらくたいした不都合はあるまいと思う。
 ついでながら、自分のような門外漢がこの講座のこの特殊項目に筆を染めるという僣越《せんえつ》をあえてするに至った因縁について一言しておきたいと思う。元来映画の芸術はまだ生まれてまもないものであってその可能性については、従来相当に多数な文献があるにもかかわらず、まだ無限に多くのものが隠され拾い残されているであろうと思われる。従って、かえってそういう文献などに精通しない門外漢の幼稚《ナイヴ》な考察の中からいくらかでも役に立つような若干の暗示が生まれうるプロバビリティーがあるかもしれないと思われる。また一方
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