のである。そうしてそれが雑然たる群衆ではなくて、ほとんど数学的「鋼鉄的」に有機的な設計書の精細な図表に従って、厳重に遂行されなければならない性質のものである。しかもそれはこれに併行する経済的の帳簿の示す数字によって制約されつつ進行するのである。細かく言えば高価なフィルムの代価やセットの値段はもちろん、ロケーションの汽車賃弁当代から荷車の代までも予算されなければならないのである。これを、詩人が一本の万年筆と一束の紙片から傑作を作りあげ、画家が絵の具とカンバスで神品を生み出すのと比べるとかなりな相違があるのを見のがすことはできない。映画芸術の経済的社会的諸問題はここから出発するのである。

     映画の成立

 以上のようなわけであるから、映画とは何かという問題を考えるには、抽象的な議論をする前にまず映画がどうして作られるかという実際上の過程を考えてみることが必要であると思う。
 一つの映画が作り上げられるまでの過程は時代により国により、また製作者により、必ずしも同じではないようであるが、だいたいにおいて次のような段階を経るべきはずのものである。
 第一にその一編の主題となるべきものからいわゆるストーリーあるいはシュジェーが定められる。これはたとえば数行のものであってもよいがともかくも内容のだいたいの筋書きができるのである。それをもう少し具体的な脚本すなわちシナリオに発展させる。しかしそれではまだすぐに撮影はできない。シナリオに従って精細な撮影台本が作られなければならない。それには撮影さるべき対象選定はもちろんそれがいかなる条件においていかに撮影さるべきかが具体的に精細に設計規定されなければならない。それができて後に関係部員のそれぞれの部署が決定されなければならない。一方では精密な予算も組まれなければならない。
 これまでの過程はすべて「分析」の過程である。出発点における主題に含まれているものを順次にその構成要素に解きほごして行ってその各部の具体的設計を完成する過程である。
 このようにしてできた設計が完成すれば次には、これらの各部分が工人の手によって実物に作り上げられなければならない。すなわち一つ一つの場面の一つ一つのショットの断片が撮影される。同じものが何度も何度も、監督の気に入るまでとり直される。この場合には脚本中における各ショットの位置や順序にはかまわず、背
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