い映画のできないということの半分の責任は大衆観客にあることももちろんであろうが、しかし元来芸術家というものは観賞者を教育し訓練に導きうる時にのみ始めてほんとうの芸術家である。チャップリンのごとき天才は大衆を引きつけ教育し訓練しながら、笑わせたり泣かせたりしてそうして莫大《ばくだい》な金をもうけているのである。
和歌|俳諧《はいかい》浮世絵を生んだ日本に「日本的なる世界的映画」を創造するという大きな仕事が次の時代の日本人に残されている。自分は現代の若い人々の中で最もすぐれた頭脳をもった人たちが、この大きな意義のある仕事に目をつけて、そうして現在の魔酔的|雰囲気《ふんいき》の中にいながらしかもその魔酔作用に打ち勝って新しい領土の開拓に進出することを希望してやまないものである。それには高く広き教養と、深く鋭き観察との双輪を要する事はもちろんである。「レオナルド・ダ・ヴィンチが現代に生まれていたら、彼は映画に手を着けたであろう」とだれかが言っているのは真に所由のあることと思われる。
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(付記) 紙数に制限のあるために省略した項目の中にはたとえば「字幕《サブタイトル》」の問題や、映写幕《スクリーン》の形状の問題のごときものがある。また芸術的実写映画としての山岳映画や猛獣映画のごときものについても一通り述べたかったのであるが、これらについても他日適当な機会に、他の場所で一応の考察を試みたいと思う。
本編を草するために参考にした書物は次のようなものである。(次第不同)
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V. I. Pudovkin : On Film Technique, 1930.
W. Pudowkin : Filmregie und Filmmanuskript, 1928.
〔Be'la Ba'lazs : Der sichtbare Mensch. Eine Film−Dramaturgie (2te Aufl.)〕
〔Be'la Ba'lazs : Der Geist des Films, 1930. 〕
〔Le'on Moussinac : Panoramique du cine'ma, 1929. 〕
Bryher : Film Problems of Soviet Russia, 1929.
L. Moh
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