はどうして起るかと聞くと事柄は一層|六《むつ》かしくなって結局到底満足な返答は得られない。実は学者にも分らないのである。
 吾々が存在の光栄を有する二十世紀の前半は、事によると、あらゆる時代のうちで人間が一番思い上がって吾々の主人であり父母であるところの天然というものを馬鹿にしているつもりで、本当は最も多く天然に馬鹿にされている時代かもしれないと思われる。科学がほんの少しばかり成長して丁度|生意気盛《なまいきざか》りの年頃になっているものと思われる。天然の玄関をちらと覗いただけで、もうことごとく天然を征服した気持になっているようである。科学者は落着いて自然を見もしないで長たらしい数式を並べ、画家はろくに自然を見もしないで徒《いたずら》に汚らしい絵具を塗り、思想家は周囲の人間すらよくも見ないで独りぎめのイデオロギーを展開し、そうして大衆は自分の皮膚の色も見ないでこれに雷同し、そうして横文字のお題目を唱えている。しかしもう一歩科学が進めば事情はおそらく一変するであろう。その時には吾々はもう少し謙遜《けんそん》な心持で自然と人間を熟視し、そうして本気で真面目に落着いて自然と人間から物を教わる
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