くきわめて純良で正直であって、この異郷の動物の気持ちなどをいろいろと推測してそれに適合する事をあえてするにはあまりに高い人格を持っていたのである。こうした二つのものが相接触すればいつかはけんかになる事が当然すぎるほど当然な帰結である。
それでとうとう感情の背反が起こって来た時に、これが両方とも人間であるか、あるいはいっその事両方とも象である場合にはかえって始末がいいかもしれないが、困った事には一方が人間で一方が象であったのである。一方は口がきけてそして仲間がおおぜいいるのに、一方は全く口がきけなくてそしてただの一人ぼっちであった。これが大なる不幸のおもなる原因であったのである。
けんかをする時にはだれでも少しぐらいは気が狂っている。そしてお互いに相手の事を、あいつは気違いだと触れ回ってもたいてい聞く人のほうで相手にしないから、結果はそれきりでなんらの後難をひき起こす恐れがない。
ところが現在の仮想的事件の場合においては、象が人間の言う事を聞かないから人間がおこった、それから象がおこったのであっても、その人間が仲間の人間にこの事件の顛末《てんまつ》を話して聞かす時には、きっと象がおこった事実の記述のほうに念が入り過ぎて、つい象がおこるに至った原因のほうの説明を忘れがちになるのである。これを聞く人のほうでももちろん象の恐るべき行為で頭の中がいっぱいになってしまって、象をおこらせた人間の行為などはとても考えている余裕のないのが普通であろう。たまにはそこまで立ち入って考えうるだけの能力をもった人があっても、直接なんら利害の関係のない象のためにそれを考えてやるだけの暇《いとま》をもたないのが通例であろう。
それで結局、なんらの異議もなくこの象は狂気しているという事が人間の仲間から仲間へと伝えられる。その間に象の狂暴な行為はいろいろに誤り伝えられるが、そのたびごとに少しずつ悪いほうへ悪いほうへと変化して行くのが通則である。
この善良な人間たちは暇に任せて象のその後の行動に注目する。そうして彼らの期待に合うような象の行為を発見する事の満足を求めようとするのである。その満足が得られない場合には、それが得られそうな機会を積極的に作る事さえいとわない。なるほどこいつは気違いだという事がふに落ちるまでは安心ができないのである。考えてみるとはなはだ不可思議な心理ではあるが、畢竟《ひっきょう》は人間がその所信に対する確証を求めようとするまじめな欲求にほかならないかもしれない。
それはどうでもいいが、この場合迷惑至極なのは象である。腹が立っても、どうする事もできないところへ、こういう境遇に置かれてプレジュディスのめがねの焦点になっては全くやるせがない。もしも一つ所に象の仲間がおおぜいいて、そして仲間どうしで話をする事ができたらそれならなんでもない。そうなれば象仲間で人間のほうを気違いにしてしまって、そして象どうしで仲よくしていればよいのであるが、悲しい事には、この象にはそういう自分の世界が恵まれていなかった。
この場合象が気違い扱いを免れる方法はただ一つしかなかった。すなわち多数者たる人間と妥協する事であった。不幸にしてこの象はそれをあえてするにはあまりに正直で善良であったのである。その結果はあのとおりである。
これはただ一つの有りうべき場合の想像に過ぎない。しかしもしこの想像がほんとうであったとしたら、今度は思わぬ機会で今までとはちがった人間の群れの中に迎えられて、そうして、気違いでないあたりまえの象として見られ取り扱われるようになった事はこの象にとってどんなにうれしい事であったろう。想像するだけでも私は胸の奥底まで晴れ晴れとするようないい心持ちがする。
事実は全くどうだかわからない、ただ以上のような場合が今後にもありうるものとすれば、私は多くの善良な象のためにまたその善良な飼養者のために、これだけの事を参考のために書いておくのもむだな事ではあるまいと思ったのである。
[#地から3字上げ](大正十三年二月、女性改造)
底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1947(昭和22)年9月10日第1刷発行
1964(昭和39)年1月16日第22刷改版発行
1997(平成9)年5月6日第70刷発行
入力:田辺浩昭
校正:かとうかおり
1999年11月17日公開
2003年10月22日修正
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