なみごとなかぶと虫がいかめしい角《つの》を立てて止まっているのを見つけた時はうれしかった。自分の標本箱にはまだかぶと虫のよいのが一つもなかったので、胸をとどろかして網を上げた。少し網が届きかねたがようよう首尾よく捕《と》れたので、腰につけていた虫かごに急いで入れて、包みきれぬ喜びをいだいて森を出た。三の丸の石段の下まで来ると、向こうから美しい蝙蝠傘《こうもりがさ》をさした女が子供の手を引いて木陰を伝い伝い来るのに会うた。町の良い家の妻女であったろう。傘を持った手に薬びんをさげて片手は子供の手を引いて来る。子供は大きな新しい麦藁帽《むぎわらぼう》の紐《ひも》をかわいい頤《あご》にかけてまっ白な洋服のようなものを着ていた。自分のさげていた虫かごを見つけると母親の手を離れてのぞきに来たが、目を丸くして母親のほうへ駆けて行って、袖《そで》をぐいぐい引っぱっていると思うと、また虫かごをのぞきに来た。母親は早くおいでよと呼ぶけれども、なかなか自分のそばを離れぬ。しいて連れて行こうとすると道のまん中にしゃがんでしまってとうとう泣き出した。母親は途方にくれながらしかっている。自分はその時虫かごのふたを
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