り出す事があった。年上の子供はこの砂山によじ登ってはすべり落ちる。時々戦争ごっこもやった。賊軍が天文台の上に軍旗を守っていると官軍が攻め登る。自分もこの軍勢の中に加わるのであったが、どうしてもこの砂山の頂まで登る事ができなかった。いつもよく自分をいじめた年上の者らは苦もなく駆け上がって上から弱虫とあざける。「早く登って来い、ここから東京が見えるよ」などと言って笑った。くやしいので懸命に登りかけると、砂は足もとからくずれ、力草と頼む昼顔はもろくちぎれてすべりおちる。砂山の上から賊軍が手を打って笑うた。しかしどうしても登りたいという一念は幼い胸に巣をくうた。ある時は夢にこの天文台に登りかけてどうしても登れず、もがいて泣き、母に起こされ蒲団《ふとん》の上にすわってまだ泣いた事さえあった。「お前はまだ小さいから登れないが、今に大きくなったら登れますよ」と母が慰めてくれた。その後自分の一家は国を離れて都へ出た。執着のない子供心には故郷の事は次第に消えて昼顔の咲く天文台もただ夢のような影をとどめるばかりであった。二十年後の今日故郷へ帰って見るとこの広場には町の小学校が立派に立っている。大きくなったら登れると思った天文台の砂山は取りくずされてもう影もない。ただ昔のままをとどめてなつかしいのは放課後の庭に遊んでいる子供らの勇ましさと、柵《さく》の根もとにかれがれに咲いた昼顔の花である。

     二 月見草

 高等学校の寄宿舎にはいった夏の末の事である。明けやすいというのは寄宿舎の二階に寝て始めて覚えた言葉である。寝相の悪い隣の男に踏みつけられて目をさますと、時計は四時過ぎたばかりだのに、夜はしらしらと半分上げた寝室のガラス窓に明けかかって、さめ切らぬ目にはつり並べた蚊帳《かや》の新しいのや古い萌黄色《もえぎいろ》が夢のようである。窓の下框《したがまち》には扁柏《へんばく》の高いこずえが見えて、その上には今目ざめたような裏山がのぞいている。床はそのままに、そっと抜け出して運動場へおりると、広い芝生《しばふ》は露を浴びて、素足につっかけた兵隊靴《へいたいぐつ》をぬらす。ばったが驚いて飛び出す羽音も快い。芝原のまわりは小松原が取り巻いて、すみのところどころには月見草が咲き乱れていた。その中を踏み散らして広い運動場を一回りするうちに、赤い日影が時計台を染めて賄所《まかないしょ》の井戸
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