歌の口調
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)抽《ぬ》き出す
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(例)[#地から1字上げ](大正十一年三月『朝の光』)
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歌の口調がいいとか悪いとかいう事の標準が普遍的に定め得られるものかどうか、これは六かしい問題である。この標準は時により人により随分まちまちであってその中から何等かの方則といったようなものを抽《ぬ》き出すのは容易な事とは思われない。
しかし個人的には、たとえそれは自覚されないにしても、何かしら自ずから一定の標準をもっていて、それに当嵌《あては》めて口調の善し悪しを区別している事だけは否定し難い事実である。
それでもし各個人の標準を分析的に研究して、何等かの形でその要素といったようなものを抽出する事が出来れば、次には色々の個人の要素を綜合して、帰納的にやや普遍な方則を求める事が出来そうにも思われる。
口調というものの最も主要な要素の一つは時間的のリズムであるが、和歌や俳句のようなものでは、これは形式上の約束から既にある範囲内に規定されている。勿論その範囲内でも、例えば七、五の「七」を三と四に分けるか二と五に分けるかというような自由があるのでそれらのコンビネーション、パーミュテーションでかなり複雑な変化が可能になる。
しかし、この要素は最も純粋な音楽的の要素であってこれを研究するには勢い広く音楽やまたあらゆる詩形全体にわたって考える事が必要になる。これはなかなか容易な仕事ではない。
次に重要な要素は何と云っても母音の排列である。勿論子音の排列分布もかなり大切ではあるが、日本語の特質の上からどうしても子音の役割は母音ほど重大とは考えられない。これがロシア語とかドイツ語とかであってみれば事柄はよほどちがって来るが、それでも一度び歌謡となって現われる際にはどうしても母音の方の重みが勝つ。いわんや日本語となると子音の役目はよほど軽くなると云っても差しつかえはない。
母音の重要なという事には根本的な理由がある。一体口調の惹き起す快感情緒といったようなものは何処から来るかというと、ちょっと考えた処では音となって耳から這入《はい》る韻感の刺戟が直接に原因となるように思われるが、実は音を出す方の口の器官の運動に伴う筋肉の感覚を通じて生ずるものである。立入った
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