した。こういう本格的な研究仕事を手伝わされたことがどんなに仕合せであったかということを、本当に十分に估価《こか》し玩味《がんみ》するためにはその後の三十年の体験が必要であったのである。
たしか三年の冬休みに修善寺《しゅぜんじ》へ行ってレーリーの『音響』を読んだ。湯に入り過ぎたためにからだが変になって、湯から出ると寒気がするので、湯に入っては蒲団に潜ってレーリーを読み、また湯に入っては蒲団を冠ってレーリーを読んだ。風邪を引いた代りにレーリーがずいぶん骨身にしみて後日の役に立った。
楽しみに学問をするというのはいけないことかもしれないが、自分はどうも結局自分の我儘《わがまま》な道楽のために物理学関係の学問をかじり散らして来たものらしい。尤も、そうすることによって結局は奉公の第一義にかなうことが出来るという自分勝手な考えもありはしたが、とにかく興味の向くことなら何でも構わず貪《むさぼ》るように意地汚くかじり散らした。それが後年何の役に立つかということは考えなかったのであるが、そういう一見雑多な知識が実に不思議な程みんな後年の仕事に役に立った。それは動物や人間が丁度自分のからだに必要な栄養
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