学の本質をゆがめて表現しているものも決して少なくない。また一方では、相当な科学者の書いたものでも、単に読者の退屈を紛らすためとしか思われないような、話の本筋とは本質的になんの交渉もないような事がらを五目飯のように交ぜたり、空疎な借りもののいわゆる「美文」を装飾的に織り込んだりしたようなものもまた少なくはないようである。いずれにしても著者の腹にない付け焼き刃の作物では科学的にはもちろん、文学的にもなんらの価値がありようはないのである。
 科学者が自分の体験によって獲得した深い知識を、かみ砕きかみ締め、味わい尽くしてほんとうにその人の血となり肉となったものを、なんの飾りもなく最も平易な順序に最も平凡な言葉で記述すれば、それでこそ、読者は、むつかしいことをやさしく、ある程度までは正しく理解すると同時に無限の興趣と示唆とを受けるであろうと思われる。
 そういう意味でまた通俗科学の講演筆記や、エッセーは立派な「創作品」であり「芸術品」でもありうるのである。取り扱ってある対象は人間界と直接交渉のない生物界あるいは無機界のことであっても、そういう創作であれば、必ず読者の対世界観、ひいてはまた人生観に
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