からアリストファーネスのコメディーに至るまでがそうである。笑わせ怒らせ泣かせうるのはただ実験が自然の方則を啓示する場合にのみ起こりうる現象である。もう少し複雑な方則が啓示されるときにわれわれはチェホフやチャプリンの「泣き笑い」を刺激され、もう一歩進むと芭蕉《ばしょう》の「さびしおり」を感得するであろう。
 叙事と抒情《じょじょう》とによって文学の部門を分けるのは、そういう形式的な立場からは妥当で便利な分類法であるが、ここで代表されているような特殊な立場から見れば、こういう区別はたいした意味を持たなくなる。
 最も抒情的なものと考えられる詩歌の類で、普通の言い方で言えば作者の全主観をそのままに打ち出したといったようなものでも、冷静な傍観者から見れば、やはり立派な実験である。ただ他の場合と少しちがうことは、この場合においては作者自身が被試験物質ないしは動物となって、試験管なり坩堝《るつぼ》なり檻《おり》なりの中に飛び込んで焼かれいじめられてその経験を歌い叫び記録するのである。あるいはその被試験者の友人なり、また場合によっては百年も千年も後世に生まれた同情者が、当人に代わって、あるいは当人に取り憑《つ》かれるか取り憑くかして、歌い悲しみ、また歌い喜ぶのである。たとえば、われわれは自分の失恋を詩にすることもできると同時に、真間《まま》の手児奈《てこな》やウェルテルの歌を作ることもできるのである。
 探偵小説《たんていしょうせつ》と称するごときものもやはり実験文学の一種であるが、これが他のものと少しばかりちがう点は、何かしら一つの物を隠しておいて、それを捜し出すためにいろいろの実験を行なう、そうして読者を助手にしていろいろと実験を進めて行って最後に、その隠したものに尋ねあてて見せる、という仕組みのものである。宝捜しの案内記のようなものである。一方で、科学者の発見の径路を忠実に記録した論文などには往々探偵小説の上乗なるものよりもさらにいっそう探偵小説的なものがあるのである。実際科学者はみんな名探偵でなければならない。そうして凡庸な探偵はいつも見当ちがいの所へばかり目をつけて、肝心な罪人を取り逃がしている、その間に名探偵は、いろいろなデマやカムフラージに迷わされず、確実な実証の連鎖をじりじりとたぐって、運命の神自身のように一歩一歩目的に迫進するのである。しかし実際の探偵小説がそれほどに必然的な実証の連鎖を示しているかというと、そうではなくて、たいていの場合には、巧みにそうらしく見せているだけで、実は大きな穴だらけのものがはなはだ多い。換言すれば、実験は実験でも、ごまかしの実験である場合がはなはだ多い。これは無理に変わった趣向を求める結果、自然にそういう無理を生ずる可能性が多くなるものと思われる。しかし読者が容易にその穴に気がつかなければ、少なくも一時は目的が達しられる。つまり読者の錯覚、認識不足を利用して読者を魅了すればよいので、この点奇術や魔術と同様である。そういうものになると探偵小説はほんとうの「実験文学」とは違った一つの別派を形成するとも言われるであろう。そういうこしらえ物でなくて、実際にあった事件を忠実に記録した探偵実話などには、かえって筆者や話者の無意識の中に真におそるべき人間性の秘密の暴露されているものもある。そういうものを、やはり一つの立派な実験文学と名づけることも、少なくも現在の立場からはできるわけである。同じようなわけで、裁判所におけるいろいろな刑事裁判の忠実な筆記が時として、下手《へた》な小説よりもはるかに強く人性の真をうがって読む人の心を動かすことがあるのである。
 これから考えると、あらゆる忠実な記録というものが文学の世界で占める地位、またその意義というような事が次の問題になって来るのである。

     記録としての文学と科学

 史実というものは文学を離れては存在することが困難なように思われる。単なる年代表のようなものはとにかく、いわゆる史実が歴史家の手によって一応合理的な連鎖として記録される場合は結局その歴史家の「創作」と見るほかはない。「日本歴史」というものはどこにも存在しなくて、何某の「日本歴史」というものだけが存在するのである。ところが必要な鎖の輪が欠けているために実際は関係のよくわからぬ事件が、史家の推定や臆測《おくそく》で結びつけられる場合が多いであろう。それでいわゆる歴史と称するものは、ほんとうの意味での記録としてずいぶんたより少ないものと考えられるのである。事がらがごく最近に起こった場合でもその事がらの真相が伝えられることは存外むつかしいものである。たとえばマッキンレーが始めて大統領に選ばれたときに馬鈴薯《ばれいしょ》の値段が暴騰したので、ウィスコンシンの農夫らはそれをこの選挙の結果に帰した。しか
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