れぞれの場合に対する臨機の所置ということがすぐに頭の中を占領してしまうのである。地震だなと思うと、すぐにその初期微動の長さの秒数を数えたり、主要動が始まればその方向や週期や振幅を出来るだけ確実に認識しようとする努力が先に立つ。そうしてそれをやっている間に同時にその地震の強弱程度が直観的にかなり明瞭に感知されるから、たいていの場合にはすっかり安心して落着いていられるのである。関東地震の起った瞬間に私は上野の二科会展覧会場の喫茶店で某画伯と話をしていた。初期微動があまり激しかったのでそれが主要動であると思っているうちに本当の主要動がやって来たときは少しはびっくりしない訳に行かなかった。しかしその最初の数秒の経過と、あの建物の揺れ工合とを見てからもうすっかり安心してしまった。そうしてすべての人達が屋外へ飛び出してしまった後に一人残って飲み残りの紅茶をなめながら振動の経過を出来るだけ詳細に観察しようと努力していた。あとでこの事を友人に話したら腰が抜けて逃げられなくなったんじゃないかといって笑われたくらいであった。これは要するに地震というものの経過の方則といったようなものをよく知っている人なら誰でも同じであるはずである。
つまり私は臆病であったおかげでこの臆病の根を絶やすことが出来たような気がする。私は臆病ではあったが未練ではなかったのだと思っている。だから自分の臆病を別に恥ずかしいとは思っていないのである。
この年取った、そして、少しばかり風変りな科学者のこの話は、子供を教育する親達にも何かの参考になりそうである。また同時にすべての人々にとっても「こわいもの」に対する対策の一般的指導原理を暗示するようにも思われるのである。[#地から1字上げ](昭和六年十二月『家庭』)
底本:「寺田寅彦全集 第二巻」岩波書店
1997(平成9)年1月9日発行
入力:Nana ohbe
校正:浅原庸子
2005年3月16日作成
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