には国民性もあるかもしれないが、また一つには幼い頃からの家庭の教育に最も多く影響されるであろうと思われる。これについては特に母となる人達の理化学的知識に対する理解と興味の水準をもう少し引上げることが肝要であろうと思われる。科学に対する興味を養成するには、六《むつ》かしくて嘘だらけの通俗科学書や浅薄《せんぱく》で中味のないいわゆる科学雑誌などを読んでもたいして効能はない。むしろ日常身辺の自分に最も親しい物質の世界の事柄を深く注目し静かに観察してその事柄の真相をつき止めようという人間本然の傾向を助長し発育させるのが第一の近道であろう。それの手始めには、例えば風呂場に一本の寒暖計を備えるのも一策である。そうしていろいろやってみて、考えてみてどうしても分らない疑問が起ったときに行きあたって、そこで適当な書物を読めば、その時に初めて書物の知識が本当の活きた知識になるのである。それまでは何度読んでも結局はただの活字の行列を見物しているのもたいしたちがいはなさそうである。[#地から1字上げ](昭和六年六月『家庭』)

      こわいものの征服

 ある年取った科学者が私にこんな話をして聞かせた。私は子供の時から人並以上の臆病者であったらしい。しかし私はこの臆病者であったということを今では別に恥辱だとは思っていない。むしろかえってそうであったことが私には幸運であったと思っている。
 子供の時分にこの臆病な私の胆玉《きもたま》を脅かしたものの一つは雷鳴であった。郷里が山国で夏中は雷雨が非常に頻繁であり、またその音響も東京などで近頃聞くのとは比較にならぬほど猛烈なものであったような気がする。これは単に心理的にそう思われたばかりでなく実際物理的にもそうであろうと思われる。そうしてその恐ろしさは単に落雷が危険であるからという功利的な理由からよりも、むしろ超自然的な威力が空一面に暴れ廻っているように感じられるためであった。中学校、高等学校で電気の学問を教わっても、この子供の頭に滲み込んだ恐ろしさはそう容易《たやす》くは抜け切らなかった。しかし後に自分で電気に関する色々な「実験」を体験するようになってからは、こういう超自然的な感じはいつの間にか綺麗《きれい》に消えてしまった。もっとも一つは年を取って神経が鈍くなったせいもあるかもしれないが、一つには自分が昔おどかされた雷の兄弟分と友達になって毎日のように一緒に遊ぶことになったためと思われる。こうして雷鳴に対する神秘的の恐ろしさがなくなりはしたが、たぶんその恐ろしさの変形したものと思われる好奇心と興味とはかえって増すばかりであった。「恐いもの見たし」という古い諺は、私の場合には普通の解釈よりももう少し込み入った意味をもって適用されることになったようである。それで雷鳴のする度ごとに私は厭《あ》かずに空を眺めては雲の形態や運動、電光の形状、時間関係、雷鳴の音響の経過等を観察するのが無上の楽しみになって来た。そうした雷の現象に関するあらゆる研究に興味を引かれてその方面の文献を、別に捜す気になるまでもなく、自然に渉猟するようになった。しかしどれほど色々の学者の研究の結果を調べてみても、私自身体験としての雷の観察から示唆されて日常に懐《いだ》いている色々の疑問を満足に説明してくれるものは一つもない。そういう行きがかりで晩年自分が某研究所に入って自由に好きな研究の出来るという幸福な身分になったとき、別にわざわざ選ぶともなく自然に選んだ研究題目の一つは空中放電現象のそれであった。もちろんそれに関して私のこれまでに得た研究の結果は、学界に対する貢献としては誠に些細なお恥ずかしいものであったであろうが、ただ自分だけでは、自分自身の多年の疑問の中の少部分だけでも、いくらかそれによって明らかにすることが出来たと思うことに無限の喜びを感じるのである。
 同じように地震もまた臆病な子供の私をひどくおびえさせたものの一つである。両親が昔安政の地震に遭難した実話を、子供の時から聞かされていたこともこの畏怖の念を助長する効果はあったかもしれないのであるが、しかしそれにはかかわらず、おそらく地震に対するこの恐怖は本能的なものであった。少なくとも私の子供の時分のそれはちょうど野蛮民のそれと同様な超自然的なものであったに相違ないと思われるのである。それはとにかく、後日理化学を修めるようになってから私の興味はやはり自然に地震現象の研究という方に向かって行った。そうして自分でその後この現象の研究を手がけるようになってからは、もう恐怖の感じは全く忘れたようになくなってしまった。もちろん烈震の際の危険は充分に分っているが、いかなる震度の時にいかなる場所にいかなる程度の危険があるかということの概念がはっきりしてしまえば、無用な恐怖と狼狽との代りに、そ
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