現象から暗示された作りごとであるかもしれない。私の調べたところでは、北陸道《ほくりくどう》一帯にかけて昔も今も山くずれ地すべりの現象が特に著しい。これについては故|神保《じんぼ》博士その他の詳しい調査もあり、今でも時々新聞で報道される。地すべりの或《あ》るものでは地盤の運動は割合に緩徐で、すべっている地盤の上に建った家などぐらぐらしながらもそのままで運ばれて行く場合もある。従って岩などもぐらぐら動き、また互いに衝突しながら全体として移動する事もありそうである。そういう実際の現象から「石と石がけんかする」というアイデアが生まれたかもしれないと思われる。それで、もし、この謙信居城の地の地すべりに関する史料を捜索して何か獲物でも見つかれば少しは話が物になるが、今のところではただの空想に過ぎない。しかしこの話がともかくもそういう学問上の問題の導火線となりうる事だけは事実である。
 地変に関係のある怪異では空中から毛の降る現象がある。これについては古来記録が少なくない。これは多くの場合にたぶん「火山毛」すなわち「ペレ女神の髪の毛」と称するものに相違ない。江戸でも慶長寛永寛政文政のころの記録がある。耽奇漫録《たんきまんろく》によると文政七年の秋降ったものは、長さの長いのは一尺七寸もあったとある。この前後|伊豆《いず》大島《おおしま》火山が活動していた事が記録されているが、この時ちょうど江戸近くを通った台風のためにぐあいよく大島の空から江戸の空へ運ばれて来て落下したものだという事がわかる。従ってそれから判断してその日の低気圧の進路のおおよその見当をつける事が可能になるのである。
 気象に関係のありそうなのでは「たぬきの腹鼓」がある。この現象は現代の東京にもまだあるかもしれないがたぶんは他の二十世紀文化の物音に圧倒されているためにだれも注意しなくなったのであろうと思う。ともかくも気温や風の特異な垂直分布による音響の異常《いじょう》伝播《でんぱ》と関係のある怪異であろうと想像される。今では遠い停車場の機関車の出し入れの音が時として非常に間近く聞こえるといったような現象と姿を変えて注意されるようになった。たぬきもだいぶモダーン化したのである。このような現象でも精細な記録を作って研究すれば気象学上に有益な貢献をする事も可能であろう。
「天狗《てんぐ》」や「河童《かっぱ》」の類となると物理学や気象学の範囲からはだいぶ遠ざかるようである。しかし「天狗様のおはやし」などというものはやはり前記の音響異常伝播の一例であるかもしれない。
 天狗和尚《てんぐおしょう》とジュースの神の鷲《わし》との親族関係は前に述べたが、河童や海亀《うみがめ》の親類である事は善庵随筆《ぜんあんずいひつ》に載っている「写生図」と記事、また※[#「竹かんむり/均」、第3水準1−89−63]庭雑録《いんていざつろく》にある絵や記載を見ても明らかである。河童の写生図は明らかに亀の主要な特徴を具備しており、その記載には現に「亀のごとく」という文句が四か所もある。そうだとするとこれらの河童《かっぱ》捕獲の記事はある年のある月にある沿岸で海亀《うみがめ》がとれた記録になり、場合によっては海洋学上の貴重な参考資料にならないとは限らない。
 ついでながらインドへんの国語で海亀《うみがめ》を「カチファ」という。「カッパ」と似ていておもしろい。
 もっとも「河童《かっぱ》」と称するものは、その実いろいろ雑多な現象の総合とされたものであるらしいから、今日これを論ずる場合にはどうしてもいったんこれをその主要成分に分析して各成分を一々吟味した後に、これらがいかに組み合わされているか、また時代により地方によりその結合形式がいかに変化しているかを考究しなければならない。これはなかなか容易でないが、もしできたらかなりおもしろく有益であろうと思う。このような分析によって若干の化け物の元素を析出すれば、他の化け物はこれらの化け物元素の異なる化合物として説明されないとも限らない。CとHとOだけの組み合わせで多数の有機物が出るようなものかもしれない。これも一つの空想である。
 要するにあらゆる化け物をいかなる程度まで科学で説明しても化け物は決して退散も消滅もしない。ただ化け物の顔かたちがだんだんにちがったものとなって現われるだけである。人間が進化するにつれて、化け物も進化しないわけには行かない。しかしいくら進化しても化け物はやはり化け物である。現在の世界じゅうの科学者らは毎日各自の研究室に閉じこもり懸命にこれらの化け物と相撲《すもう》を取りその正体を見破ろうとして努力している。しかし自然科学界の化け物の数には限りがなくおのおのの化け物の面相にも際限がない。正体と見たは枯れ柳であってみたり、枯れ柳と思ったのが化け物であった
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