に対して反感をいだく人もあるようである。それはせっかくの神秘なものを浅薄なる唯物論者の土足に踏みにじられるといったような不快を感じるからであるらしい。しかしそれは僻見《へきけん》であり誤解である。いわゆる科学的説明が一通りできたとしても実はその現象の神秘は少しも減じないばかりでなくむしろますます深刻になるだけの事である。たとえば鎌鼬《かまいたち》の現象がかりに前記のような事であるとすれば、ほんとうの科学的研究は実はそこから始まるので、前に述べた事はただ問題の構成《フォーミュレーション》であって解決《ソリューション》ではない。またこの現象が多くの実験的数理的研究によって、いくらか詳しくわかったとしたところで、それからさきの問題は無限である。そうして何の何某が何日にどこでこれに遭遇するかを予言する事はいかなる科学者にも永久に不可能である。これをなしうるものは「神様」だけである。
「鸚鵡石《おうむいし》」という不思議な現象の記事を、※[#「車+酋」、第3水準1−92−47]軒小録《ゆうけんしょうろく》、提醒紀談《ていせいきだん》、笈埃随筆《きゅうあいずいひつ》等で散見する。これは山腹に露出した平滑な岩盤が適当な場所から発する音波を反響させるのだという事は今日では小学児童にでもわかる事である。岩面に草木があっては音波を擾乱《じょうらん》するから反響が充分でなくなる事も多くの物理学生には明らかである。しかしこれらの記録中でおもしろいと思わるるのは、ある書では笛の音がよく反響しないとあり、他書には鉦《かね》鼓鈴のごときものがよく響かないとある事である。笈埃随筆では「この地は神跡だから仏具を忌むので、それで鉦や鈴は響かぬ」という説に対し、そんなばかな事はないと抗弁し「それならば念仏や題目を唱えても反響しないはずだのに、反響するではないか」などという議論があり、結局|五行説《ごぎょうせつ》か何かへ持って行って無理に故事《こじ》つけているところがおもしろい。五行説は物理学の卵であるとも言われる。これについて思い出すのは十余年前の夏|大島《おおしま》三原火山《みはらかざん》を調べるために、あの火口原の一隅《いちぐう》に数日間のテント生活をした事がある。風のない穏やかなある日あの火口丘の頂に立って大きな声を立てると前面の火口壁から非常に明瞭《めいりょう》な反響が聞こえた。おもしろいので試みにアー、イー、ウー、エー、オーと五つの母音を交互に出してみると、ア、オなどは強く反響するのにイやエは弱く短くしか反響しない。これはたぶんあとの母音は振動数の多い上音《オバートーン》に富むため、またそういう上音《オバートーン》はその波長の短いために吸収分散が多く結局全体としての反響の度が弱くなるからではないかと考えてみた事がある。ともかくもこの事と、鸚鵡石《おうむいし》で鉦《かね》や鈴や調子の高い笛の音の反響しないという記事とは相照応する点がある。しかしこれも本式に研究してみなければよくはわからない。
近ごろは海の深さを測定するために高周波の音波を船底から海水中に送り、それが海底で反響するのを利用する事が実行されるようになった。これを研究した学者たちが、どの程度まで上記の問題に立ち入ったか私は知らない。しかしこの鸚鵡石で問題になった事はこの場合当面の問題となって再燃しなければならないのである。伊勢《いせ》の鸚鵡石にしても今の物理学者が実地に出張して研究しようと思えばいくらでも研究する問題はある。そしてその結果はたとえば大講堂や劇場の設計などに何かの有益な応用を見いだすに相違ない。
余談ではあるが、二十年ほど前にアメリカの役者が来て、たしか歌舞伎座《かぶきざ》であったかと思うが、「リップ・ヴァン・ウィンクル」の芝居をした事がある。山の中でリップ・ヴァン・ウィンクルが元気よく自分の名を叫ぶと、反響がおおぜいの声として「リーッウ・ウァーン・ウィーンウール」と調子の低い空虚な気味の悪い声であざけるように答えるのが、いかにも真に迫っておもしろかったのを記憶する。これは前述のような理由で音声の音色が変わる事と、反射面に段階のあるために音が引き延ばされまた幾人もの声になって聞こえる事と、この二つの要素がちゃんとつかまれていたからである。思うにこの役者は「木魂《こだま》」のお化けをかなりに深く研究したに相違ないのである。
「伽婢子《おとぎぼうこ》」巻の十二に「大石《おおいし》相戦《あいたたこう》」と題して、上杉謙信《うえすぎけんしん》の春日山《かすがやま》の城で大石が二つある日の夕方しきりにおどり動いて相衝突し夜半過ぎまでけんかをして結局互いに砕けてしまった。それからまもなく謙信が病死したとある。これももちろんあまり当てにならない話であるが、しかし作りごとにしてもなんらかの自然
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