化け物の進化
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)虎《とら》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)毎晩|晩酌《ばんしゃく》の

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(例)※[#「車+酋」、第3水準1−92−47]
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 人間文化の進歩の道程において発明され創作されたいろいろの作品の中でも「化け物」などは最もすぐれた傑作と言わなければなるまい。化け物もやはり人間と自然の接触から生まれた正嫡子であって、その出入する世界は一面には宗教の世界であり、また一面には科学の世界である。同時にまた芸術の世界ででもある。
 いかなる宗教でもその教典の中に「化け物」の活躍しないものはあるまい。化け物なしにはおそらく宗教なるものは成立しないであろう。もっとも時代の推移に応じて化け物の表象は変化するであろうが、その心的内容においては永久に同一であるべきだと思われる。
 昔の人は多くの自然界の不可解な現象を化け物の所業として説明した。やはり一種の作業仮説である。雷電の現象は虎《とら》の皮の褌《ふんどし》を着けた鬼の悪ふざけとして説明されたが、今日では空中電気と称する怪物の活動だと言われている。空中電気というとわかったような顔をする人は多いがしかし雨滴の生成分裂によっていかに電気の分離蓄積が起こり、いかにして放電が起こるかは専門家にもまだよくはわからない。今年のグラスゴーの科学者の大会でシンプソンとウィルソンと二人の学者が大議論をやったそうであるが、これはまさにこの化け物の正体に関する問題についてであった。結局はただ昔の化け物が名前と姿を変えただけの事である。
 自然界の不思議さは原始人類にとっても、二十世紀の科学者にとっても同じくらいに不思議である。その不思議を昔われらの先祖が化け物へ帰納したのを、今の科学者は分子原子電子へ持って行くだけの事である。昔の人でもおそらく当時彼らの身辺の石器土器を「見る」と同じ意味で化け物を見たものはあるまい。それと同じようにいかなる科学者でもまだ天秤《てんびん》や試験管を「見る」ように原子や電子を見た人はないのである。それで、もし昔の化け物が実在でないとすれば今の電子や原子も実在ではなくて結局一種の化け物で
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