きわめて軽くしか見ていない人は事実上多数にあるかもしれない。しかし、そういうふうにして、元来決して軽く見るべきはずでない、あらゆる意味で重大な多くの事がらを、朝夕に軽々しく見すごすような習慣を養うという事自身に現代の思想上の欠陥の一つの大きな原因があるのではあるまいか。そのような習慣は知らず知らずわれわれを取りかえしのつかない堕落の淵《ふち》に導いているのではあるまいか。
ただ一つだけでも充分な深い思索に値するだけの内容をもった事がらが、数限りもなくただ万華鏡裏の影像のように瞬間的の印象しかとどめない。そのようにしてわれわれの網膜は疲れ麻痺《まひ》してしまってその瞬時の影像すら明瞭《めいりょう》に正確に認めることができなくなってしまうのではあるまいか。
こういう習慣は物事に執着して徹底的にそれを追究するという能力をなしくずしに消磨《しょうま》させる。たとえばほんとうに有益なまとまった書物でも熟読しようというような熱心と気力を失わせるような弊がありはしまいか。
このような考えから、私はいっその事日刊新聞というものを全廃したらよくはないかという事につい考え及んだわけである。今のところ
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