の片すみの一課などに任しておくべきものではないとも思われる。
もっともいうまでもなく現在の新聞というものも本来はこの仮想的の一大機関と同じような役目を果たすために生まれたものであろう。ただそれが遺憾ながら理想的に行っていないために、ここにこのような問題が起こったわけである。
私の思考実験はまだわずかにこの程度までしか進んでいない。充分な洗錬を経ない以上、基礎前提にもまた推考の論理にも欠陥が多いかもしれない。それにもかかわらず私はこれだけの「実験」によって新聞というものに対する自分の考えにいくぶんかの進展を得、そして従来とはいくらか違った目で新聞に対する事ができるようになった。
こんな実験をやっている矢先に都下の有力な新聞で旬刊が発行されるようになった。私の思考実験の一半はすでに現実化されたようでもあるが、残る半分すなわち日刊の廃止という事はちょっと実現される蓋然性《がいぜんせい》が乏しい。
しかし旬刊週刊等の発行によって個人個人にこの実験を不完全ながらも遂行する事が可能になったように見える。すなわち旬刊週刊だけを読んで日刊には手を触れない事にすれば目的は達せられそうである。
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