をもって、神聖であるべきその日の勤めに対する事ができはしまいか。そうしてただいたずらにいらだたしい心持ちから救われて、めいめいの大事な仕事の能率を高める事ができはしまいか。
広告の次にいわゆる三面記事を取ってしまったらどのくらい気持ちがいいものになるだろう。昔「日本」という新聞があった。三面記事が少しもなくて、うるさいルビーがなかった。私は毎朝あれをただあけて見るだけで気持ちがよかった。ああいう新聞は今日では到底存在を維持しにくいそうである。
今年の正月にノースクリッフ卿《きょう》がコロンボでタイムスの通信員に話した談話の中に、「東洋の新聞の中では日本のがいちばん信用ができる。ただしいわゆる『第三面《サードページ》』として知られた notorious scandal のためにそこなわれてはいるが」とあった。この人のいう事がどこまで信用できるか私にはよくわからないが、ともかくも「第三面」は世界的の notoriety を保有している事になってはいると見える。
「三面」記事も純客観的に正しく書かれれば有益でありうる。たとえば議会や公判の筆記でも、それが忠実なものなら、すべての人の何かの
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