えてみるとかえって容易にわからなくなって来る。差別の要点は記事の内容の現実性にあると考えてみても、読者自身に切実な交渉のない、しかもいわゆる定型のためにかえって真実性の希薄になった社会記事と、事実はどうでも人間の中身にいくらか触れている小説や風聞録との価値の相違はそう簡単には片付けられないものだと私は思う。しかしそこまで追究するのは刻下の問題ではない。
 ここでは私もあらゆる政治欄社会欄等の記事の内容がすべての種類の読者に絶対的必要なものであると仮定する。そういう仮定のもとに新聞全廃の実験を遂行するとすれば、必然の結果として、何か日刊新聞に代わってこれらの知識を供給する適当な機関が必要になって来るのである。
 この必要に応ずる最も手近なものは、週刊、旬刊ないしは月刊の刊行物である。名前はやはり新聞でもそれはさしつかえないが、ともかくも現在の日刊新聞の短所と悪弊をなるべく除去して、しかもここに仮定した必要の知識を必要な程度まで供給する刊行物である。
 私はこの二三年ロンドンタイムスの週刊を取っている。これがロンドンで出てから私の目にはいるまでにはどうしてもひと月以上はかかる。しかし私はそ
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