ものかという事は、少しゆっくり考えてみなければよくわからないと思う。われわれの日常生活に必要欠くべからざるものと通例思われている器具調度の類でも、実はそれを全廃してしまって少しもさしつかえのないものはいくらでもある。たとえば、西洋ならばどんな簡易生活でも、こればかりは必要と思われている椅子《いす》やテーブルがなくても決してさしつかえない事は多数の日本人に明瞭《めいりょう》である。また昔の日本の女になくてかなわなかった髪飾りや帯などは外国の女には無用の長物である。
 新聞を必要とするように今のわれわれの生活を導いたものは新聞自身であるかもしれないとすると、新聞が必要がられるという事実だけでは決して新聞の本質的必要を証明する材料にはならない。
 新聞の記事はその日その日の出来事をできるだけ迅速に報知する事をおもな目的としている。その当然の結果として肝心の正確という事が常に犠牲にされがちである事はだれもよく知るとおりである。しかしこの一事だけでも新聞というものが現代の人心に与える影響はなかなか軽少なものではない。ほかの事はすべてさしおいても、「おそくとも確実に」というあらゆる「真」の探究者に
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