われるかどうか疑問である。
 おそらく十年の前から年々にこんな苦情を繰返していたのであるが、つい最近になってふとこの苦情を一掃するような一つの方法を発明した。発明と云っても、それは多くの人には発明でもなんでもない平凡至極なことであるが、しかし自分にとっては実に重大なる発明であり発見であったのである。
 それは、外でもない。三時間か四時間だけ自動車を一台やとって、道路のいい田舎へ出かけてどこでも好きなところで車を止めて土が踏みたければ踏み、草に寝たければ寝るということである。近頃の言葉で云えばドライヴを試みることである。
 自動車で田舎へ遊山《ゆさん》に出かけるというようなことは非常な金持のすることで吾々風情《われわれふぜい》の夢にも考えてはならない奢《おご》りの極みであるような気が何となしにしていた。二十年前にはたしかにそうであったにちがいないが、今ではもうそれほどでもなさそうに思われた。面倒な理窟や計算は抜きにしても少なくも病院にはいるより安いことだけはたしかである。
 試みにある日曜の昼過ぎから家族四人連れで奥多摩の入口の辺までという予定で出かけた。青梅《おうめ》街道を志して自分で
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