や蓋然性《がいぜんせい》の多少を既成科学の系統に照らして妥当に判断を下すほかはないので、もし万に一つその判断がはずれれば、それは真に新しい発見であって科学はそのために著しい進歩をする。しかしそのような場合があっても、判断がはずれた事は必ずしもその科学者の科学者としての恥辱にはならない。その場合には要するに科学が一歩を進めたという事になる。そういうふうにして進歩するのが科学ではあるまいか。むしろ見当のはずれるほうが科学者として妥当である場合がないでもない。
このような場合は別として、純粋なまじめな科学者でも、やはり人間である限り千慮の一失がないとは限らない。そして知らず知らずにポツオリの松明《たいまつ》に類した実験や理論を人に示さないとは限らない。
グラハムが発電機を作った時に当時の大家某は一論文を書いて、そのような事が不可能だという「証明」をした。それにかかわらずグラハムの器械からは電流が遠慮なく流出した。その後にこの器械から電流の生ずる[#「生ずる」に傍点]というほうの証明がだんだん現われて来たという話を何かで読んだ事がある。しかしその大家の論文をよく読んでみなければうっかりその
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