や蓋然性《がいぜんせい》の多少を既成科学の系統に照らして妥当に判断を下すほかはないので、もし万に一つその判断がはずれれば、それは真に新しい発見であって科学はそのために著しい進歩をする。しかしそのような場合があっても、判断がはずれた事は必ずしもその科学者の科学者としての恥辱にはならない。その場合には要するに科学が一歩を進めたという事になる。そういうふうにして進歩するのが科学ではあるまいか。むしろ見当のはずれるほうが科学者として妥当である場合がないでもない。
このような場合は別として、純粋なまじめな科学者でも、やはり人間である限り千慮の一失がないとは限らない。そして知らず知らずにポツオリの松明《たいまつ》に類した実験や理論を人に示さないとは限らない。
グラハムが発電機を作った時に当時の大家某は一論文を書いて、そのような事が不可能だという「証明」をした。それにかかわらずグラハムの器械からは電流が遠慮なく流出した。その後にこの器械から電流の生ずる[#「生ずる」に傍点]というほうの証明がだんだん現われて来たという話を何かで読んだ事がある。しかしその大家の論文をよく読んでみなければうっかりその人の非難はできない。
ヘルムホルツが「人間が鳥と同じようにして空を翔《か》ける事はできない」と言ったのに、現に飛行機ができたではないかという人があらばそれは見当ちがいの弁難である。現在でも将来でも鳥のように翼を自分の力で動かして、ただそれだけで鳥のように翔ける事はできはしない。
すべての案内者も時々これに類した誤解から起こる非難を受ける恐れのある事を覚悟しなければならない。たとえば、案内者が「この川を渡る橋がない」という意味で、渡れないと言ったのを船で渡っておいて「このとおり渡れるではないか」と言われるのはどうもしかたがない。これらはおそらくどちらも悪いかどちらも悪くないかである。意志が疏通しないから起こる誤解である。
しかしあらゆる誤解を予想してこれに備える事は神様でなければむつかしい。ここにも案内者と被案内者の困難がある。
私のやっかいになったポツオリの案内者は別れぎわにさらに余分の酒代をねだって気長く付きまとって来た。それを我慢して相手にしないでいたら、最後の捨て言葉に「日本人はもっとゼントルマンかと思った」と言うから、私も「イタリア人はもっとゼントルマンかと思った」と答えて、それきり永久に別れてしまった。私も少し悪かったようである。しかしこんなのはさすがに知識の案内者にはない。
考えてみると案内者になるのも被案内者になるのもなかなか容易ではない。すべての困難は「案内者は結局案内者である」という自明的な道理を忘れやすいから起こるのではあるまいか。
景色や科学的知識の案内ではこのような困難がある。もっとちがったいろいろの精神的方面ではどんなものであろうか。こっちにはさらにはなはだしい困難があるかもしれないが、あるいは事によるとかえって事がらが簡単になるかもしれない。そこには「信仰」や「愛情」のようなものが入り込んで来るからである。しかしそうなるともう私がここに言っているただの「案内者」ではなくなってそれは「師」となり「友」となる。師や友に導かれて誤って曠野《こうや》の道に迷っても怨《うらみ》はないはずではあるまいか。
[#地から3字上げ](大正十一年一月、改造)
底本:「寺田寅彦随筆集 第一巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1947(昭和22)年2月5日第1刷発行
1963(昭和38)年10月16日第28刷改版発行
1997(平成9)年12月15日第81刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年5月18日作成
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