読書したりノートを取ったり、また河のメアンダーに関する小さな「仕事」をさせてもらったりした。ドイツの学者のアルバイテンという言葉の意味がここに一年半通って同学者のやり方を見聞している間に自ずから会得《えとく》出来たような気がした。一に根気二に根気で集輯した素材を煉瓦のように積んで行くのである。
 探険家シャックルトンがベルリンへ来たときペンクの私邸に招かれ、その時自分も御相伴《おしょうばん》に呼ばれて行った。見知らぬ令夫人を卓に導く役を云い付かって当惑した。その席でペンクは、本日某無名氏よりシャックルトン氏の探険費として何万マルクとかの寄附があったと吹聴した。その無名氏なるものがカイザー・ウィルヘルム二世であることが誰にも想像されるようにペンク一流の婉曲《えんきょく》なる修辞法を用いて一座の興味を煽《あお》り立てた。
 ペンクは名実共にゲハイムラートであって、時々カイザーから呼立てられてドイツの領土国策の枢機《すうき》に参与していたようである。今日はカイザーに呼ばれているからと云ったような言葉を何遍も聞いたような記憶がある。
 いつか海洋博物館での通俗講演会でペンクが青島《チンタオ》の
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