ど》がツォイクハウス、次が番兵屯所、その次が大学である。物々しい番兵の交代はベルリン名物の一つであったが、実際いかにも帝政下のドイツのシンボルのように花やかでしかもしゃちこばった感じのする日々行事であった。この花やかにしゃちこばった気分がドイツ大学生特にいわゆるコアー学生の常住坐臥《じょうじゅうざが》を支配しているように思われるのであった。
大学の玄関の左側にはちょっとした売店があって文具や、それから牛乳パンくらいを売っていたような気がする。オペラ、芝居、それから学生見学団のビラなどが貼ってあった。十時頃にはよく玄関でシンケン・ブロートの立喰いをしながらそんなビラを読んでいる連中がいた。林檎の皮ごとぼりぼり※[#「契」の「大」に代えて「歯」、第4水準2−94−80]《かじ》り歩いている女学生も交じっていた。
プランクやシュミットの講義はここで聴いた。プランクの講義も言葉が明晰で爽やかで聞取りやすい方であった。第一回の講義の始めに、人間本位の立場から物理学を解放すべきことや物理的世界像の単一性などに関する先生の哲学の一とくさりを聞かせた。綺麗に禿げ上がった広い額が眼について離れなかっ
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