ルの建てた特色のある様式の建築として聞こえたものだそうである。昔は建築のアカデミーでシンケルが死ぬまでここに住まっていたそうである。
 ヘルマン教授は胡麻塩《ごましお》の長髪を後ろへ撫《な》でつけていて、いつも七つ下がりのフロックを着ていたが、講義の言語はこの先生がいちばん分りやすくて楽であった。自由に図書室へ出入りすることを許されたが図書室の中はいつ行ってみても誰もいないでひっそりしていた。
 一緒に講義を聞いたのはせいぜい五、六人くらいで中にたしかルーマニア人でオテテレサヌという男がいた。はじめ会って名刺を貰ってその名前をよんだときに思わず顔中が笑い出しそうになって困った。その後も教授が厳粛な顔をしてこの人の名を呼びかける度に笑いたくなって困ったのであった。
 これはずっと後のことであるが、ここへ通いながら纏《まと》めた小さな仕事を気象のコロキウムで話すように教授から命ぜられたとき、言葉が下手だからと云って断ったが、自分がすけてやるからぜひやれと云われ、仕方なしに黒板の前に立たされた。その時の苦しみは忘れられないが、しかしちょっと言葉につまるとヘルマン教授が狙っていたように必要な言
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