だく人はかなりに多いようであるが結局みんなあきらめるよりほかはないようである。雨や風や地震でさえ自由に制御することのできない人間の力では、この人文的自然現象をどうすることもできないのである。この狂風が自分で自分の勢力を消し尽くした後に自然になぎ和らいで、人世を住みよくする駘蕩《たいとう》の春風に変わる日の来るのを待つよりほかはないであろう。
 それにしても毎日毎夕類型的な新聞記事ばかりを読み、不正確な報道ばかりに眼をさらしていたら、人間の頭脳は次第に変質退化《デジェネレート》して行くのではないかと気づかわれる。昔のギリシア人やローマ人はしあわせなことに新聞というものをもたなくて、そのかわりにプラトーンやキケロのようなものだけをもっていた。そのおかげであんなに利口であったのではないかという気がしてくるのである。
 ひと月に何度かは今でも三原山《みはらやま》投身者の記事が出る。いったいいつまでこのおさだまりの記事をつづけるつもりであるのかその根気のよさにはだれも感心するばかりであろう。こんな事件よりも毎朝太陽が東天に現われることがはるかに重大なようにも思われる。もう大概で打ち切りにしてもよ
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