かく人間から見ると一種の球技である。
 オットセイは鼻の頭で鞠《まり》をつく芸当に堪能である。あれはこの動物にとっては全く飼主の曲馬師から褒美の鮮魚一尾を貰うための労役に過ぎないであろうが、娯楽のために入場券を買ってはいった観客の眼には立派な一つの球技として観賞されるであろう。不思議なのはこの動物にそういう芸を仕込まれ得る素質がどうして備わっているかということである。彼等の自然の生活に何かしらこれに似た所行がありはしないかという疑問が起る。
 動物の場合にはこれらの球技は直接間接に食うための労役である。人間の場合においては、球技を職業とする人は格別、普通にはとにかく不生産的の遊戯であり、日常生活の営みからの臨時転向《アヴオケーション》である。こう思ってしまえば誠に簡単であるが、自分にはどうもそうばかりとは思われない。人間が色々な球を弄《もてあそ》ぶことに興味を感じるのには、もっと深い本能的な起源があるのではないかという気がする。例えば人間の文化の曙光時代にわれわれの祖先のまた祖先が生きて行くために必要であったある技術と因果の連鎖でこっそりつながれているのではないかという空想も起されない
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