の頭でひっぱたくと一種独特の愉快な音がする。飛んで行った球がもう下り始めるかと思う頃に却《かえ》ってのし上がって行ってそれから落ちることがある。夫人の球が時々途中から右の方へカーヴを描く。球がそれて土手の斜面に落ちると罰金だそうである。
 河畔の蘆《あし》の中でしきりに葭切《よしきり》が鳴いている。草原には矮小《わいしょう》な夾竹桃《きょうちくとう》がただ一輪真赤に咲いている。綺麗に刈りならした芝生の中に立って正に打出されようとする白い球を凝視していると芝生全体が自分をのせて空中に泛《うか》んでいるような気がしてくる。日射病の兆候でもないらしい。全く何も比較の尺度のない一様な緑の視界はわれわれの空間に対する感官を無能にするらしい。
 途中から文科のN君が一緒になった。三人のプレイが素人目《しろうとめ》に見てもそれぞれちゃんとはっきりした特徴があって面白い。クラブと球との衝撃によって生ずる音の音色まで人々で違うような気がするのである。科学者のM君は積分的効果《インテグラルエフェクト》を狙って着実なる戦法をとっているらしく、フランス文学のN君はエスプリとエランの恍惚境を望んでドライブしているらしく、M夫人の球はその近代的闊達と明朗をもってしてもやはりどこか女性らしいやさしさたおやかさをもっているように見えた。口の悪いN君がM夫人の球を「どうも右傾だな」と云ったが間もなくN君自身の球が右傾して荒川の水にその姿を没した。夫人の胸中も自ずから平らかなるを得たようである。
 キャディが雲雀《ひばり》の巣を見付けた。草原の真唯中に、何一つ被蔽物《ひへいぶつ》もなく全く無限の大空に向って開放された巣の中には可愛い卵子が五つ、その卵形の大きい方の頂点を上向けて頭を並べている。その上端の方が著しく濃い褐色に染まっている。その色が濃くなるとじきに孵化《ふか》するのだとキャディがいう。早くかえらないと、万一誰かの右傾した球が落ちかかって来れば、この可愛い五つ生命の卵子は同時につぶされそうである。巣は小さな笊《ざる》のような形をしていて、思いの外に精巧な細工である。これこそ本能的母性愛の生み出した天然の芸術であろう。
 荒川が急に逆様《さかさま》に流れ出したと思ったら、コースがいつの間にか百八十度廻転して帰り路になっていた。
 キャディが三人、一人はスマートで一人はほがらかな顔をしているがい
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング