れるくらいだそうである。この人気に対して一種の不安の色が彼の眉目の間に読まれる。のみならず「はやりものだな」という言葉が彼の口から洩れた。しかしこれは悪く取ってはいけない、無理のないところもあると著者が弁護している。
それから古典教育に関する著者の長い議論があるが、日本人たる吾々には興味が薄いから略する事にして、次に女子教育問題に移る。
婦人の修学はかなりまで自由にやらせる事に異議はないようだが、しかしあまり主唱し奨励する方でもないらしい。
「他の学科と同様に科学の方も、なるべく道をあけてやらねばなるまい。しかしその効果については多少の疑いを抱いている。私の考えでは婦人というものに天賦のある障害があって、男子と同じ期待の尺度を当てる訳にはいかないと思う。」
キュリー夫人などが居るではないかという抗議に対しては、
「そういう立派な除外例はまだ外にもあろうが、それかといって性的に自ずから定まっている標準は動かされない。」
モスコフスキーは四十年前の婦人と今の婦人との著しい相違を考えると、知識の普及に従って追々は婦人の天才も輩出するようになりはしないか、と云うと、
「貴方《あなた》は
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