アインシュタインの教育観
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)親爺《おやじ》の金を誤魔化《ごまか》しておいて

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)無論|笑談《じょうだん》であるが

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)結果はいかもの[#「いかもの」に傍点]か失敗かである

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)人間(〔sittliche Perso:nlichkeit〕)として
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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 近頃パリに居る知人から、アレキサンダー・モスコフスキー著『アインシュタイン』という書物を送ってくれた。「停車場などで売っている俗書だが、退屈しのぎに……」と断ってよこしてくれたのである。
 欧米における昨今のアインシュタインの盛名は非常なもので、彼の名や「相対原理」という言葉などが色々な第二次的な意味の流行語になっているらしい。ロンドンからの便りでは、新聞や通俗雑誌くらいしか売っていない店先にも、ちゃんとアインシュタインの著書(英訳)だけは並べてあるそうである。新聞の漫画を見ていると、野良のむすこが親爺《おやじ》の金を誤魔化《ごまか》しておいて、これがレラチヴィティだなどと済ましているのがある。こうなってはさすがのアインシュタインも苦い顔をしている事であろう。
 我邦《わがくに》ではまだそれほどでもないが、それでも彼の名前は理学者以外の方面にも近頃だいぶ拡まって来たようである。そして彼の仕事の内容は分らないまでも、それが非常に重要なものであって、それを仕遂げた彼が非常な優れた頭脳の所有者である事を認め信じている人はかなりに多数である。そうして彼の仕事のみならず、彼の「人」について特別な興味を抱いていて、その面影を知りたがっている人もかなりに多い。そういう人々にとってこのモスコフスキーの著書は甚だ興味のあるものであろう。
 モスコフスキーとはどういう人か私は知らない。ある人の話ではジャーナリストらしい。自身の序文にもそうらしく見える事が書いてある。いずれにしても著述家として多少認められ、相当な学識もあり、科学に対してもかなりな理解を有《も》っている人である
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