でいる。しかし自然のあばれ回るのは必ずしも中央アジアだけには限らない。あすにもどこに何事が起こるかそれはだれにもわからない。それかといって神経衰弱にかかった杞人《きひと》でない限り、いつ来るかもわからない「審判の日」を気にしてその時の予算までを今日の計画の中に組み込むわけにも行かない。それで政治家、軍人、実業家、ファシスト、マルキシスト、テロリスト、いずれもこんな不定な未来の事は問題にしていない。それを問題にするのはただ一部の科学者と、それから古風な宗教の信者とだけである。いちばん仲の悪いはずの科学者と信者とがここだけで握手しているのはおもしろい現象である。
同じ雑誌に、米国のある飛行家が近ごろペルーの山中を空中から探険してたくさんの写真をとって来た報告が出ている。その中に、ミスチ火山の西北に当たるコルカ川の谷でまだ世界に紹介されていない古い都市の廃趾《はいし》を発見したことが記載されている。それが昔からの土人の都ではなくてアメリカ・スペイン人の都であったとは写真で見た町のプランから明瞭《めいりょう》だそうである。しかしどうしてこの都市がすっかり荒れ果てた死骸《しがい》になってしまったかはだれにもわからない。地震か、ペストか、それともソドム、ゴモラのような神罰か、とにかく、そんなに遠くもない昔に栄えた都会が累々たる廃墟《はいきょ》となっていて、そうして、そういうものの存在することをだれも知らないかあるいは忘れ果てていたのである。
ロプ・ノールの話や、このペルーの廃墟の話などを読んでいると、やっぱりまだこの世界が広いもののように思われて来るのである。
米国地理学会で出版されたペルーの空中写真帳を見るとあの広い国が至るところただ赤裸の岩山ばかりでできているのに驚く。地図を見ているだけではこんな事実は夢にも想像されない。地理書をいくら読んでも少なくもこれら写真の与える実感は味わわれまい。
一日も早く「世界空中写真帳」といったようなものが完成されるといいと思う。それが完成するとわれわれの世界観は一変し、それはまたわれわれの人生観社会観にもかなりな影響を及ぼすであろう。そうして在来の哲学などでは間に合わない新しい天地が開けるであろうと夢想される。
[#地から3字上げ](昭和七年十二月、唯物論研究)
底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
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