電気感応と惰性とのアナロジーなどに関するもので、これに関するマクスウェルとの文通が保存されている。
一八七一年に、ケンブリッジに新設されたキャヴェンディッシ講座に適当な人を求める問題がおこった。その時レーリーからマクスウェルに送った手紙を見ると、ウィリアム・タムソンは決定的に辞退したから、是非《ぜひ》ともマクスウェルが就任してくれるようにと勧誘している。その手紙の中でこう云っている。「この地位に望ましい人は、ただ講義をするだけの先生ではなくて、実験に体験をもった数学者で、そうして若い学者達の活動を正しい道に指導することが出来る人でなければならない。」マクスウェルは遂に承諾して最初の Cavendish Professor となった。その年にタムソンがヘルムホルツに送った手紙によると、もしマクスウェルが断ったら、この椅子はレーリーに廻るのであったらしい。
この年にマクスウェルの紹介で、共鳴に関する彼の論文が Phil. Trans. に出た。この論文が評議会を通過したことを告げたのは、ソリスベリー卿であった。「この間評議会で君の破《わ》れ徳利《とくり》が出たよ」と云ったそうである。こ
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