チにその講義でやって見せる実験を喜んだ。ストークスの考え方や表現の仕方がすっかり気に入ってしまった。そのうちに Mathematical Tripos の試験が近づいた。彼の伯母が心配して師のラウスに見込みを聞いたら、ラウスは "He'll do." と答えたそうである。
 在学中の彼は試験官の銘々の癖をよく呑込んで、例えばトドハンター先生の出す問題を予知したりした。ある試験官は「ストラットの答案は多くの書物よりもいい」と云った。
 一八六五年の正月に彼は遂に Senior Wrangler の栄冠を獲た。その表彰式に彼の母も参列したが、人々は「我《わが》 Senior Wrangler の姉君[#「姉君」に傍点]」のために万歳を三唱」した。実際母は彼よりただ十八歳の年長者であったのである。彼の郷閭《きょうりょ》の人々のうちには彼の学者として立つ事が彼の Lord としての生活と利害の相反することを恐れるものもあった。この学位を得た後に二人の友人とイタリア旅行をしたが、美術見物には大した興味がないようであった。
 一八六五年の四月に始めての講演をした。ひどく「はにかみや」であったのでこの時
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