き、それにレーリーが推挙された。色々の雑務をなるべく他の人にやらせるからという条件で彼を説き伏せた。主な仕事は論文の審査であった。彼は四十年前の審査員に握り潰されていた論文|反古《ほご》の中から J. J. Waterston という男の仕事を掘出し、それがガス論に関すジュール、クラウジウス、マクスウェルの仕事の先駆をなしていることを発見して、これを出版し、同時に隠れたこの著者の行衛《ゆくえ》を詮索したりした。この奇人は数年前行衛不明になっていた。
協会の集会に列席する以外は大抵ターリングに居て書信で用を足した。そうして一八九六年まで十一年間この職をつとめた。協会幹事として彼はウィラード・ギブスの酬われざる貢献を認めこれを表彰したいと望んだが、化学方面の評議員が「あれは化学じゃない」と云って承知せず、ケルヴィン卿までも反対した。レーリーはこう云ってこぼした。「ケルヴィンは、自分の考えがいろいろあるからだろうが、それならそれで、ちゃんとそれを発表すべきだと思う。」しかしずっと後になって最高の栄誉と考えられるコプリー賞牌《しょうはい》が授与されることになったのである。それ以前にギブスが
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