ころがあった。最も簡単な推理によって問題の要点を直進するところが似ていると、今のレーリー卿が評している。
一八七八年の五月に王立研究所(Royal Institution)で色に関する講演をした。十月二日には次男の Arthur(後に海軍士官)が生れた。一八七八ー七九年には王立研究所の評議員を務めた。
一八七七年に彼の Theory of Sound の初版がマクミラン(Macmillan)から出版された。一八七三年のナイル旅行の船中で稿を起したのが、足かけ五年目に脱稿したのである。書いて行く間に色々の新しい問題が続出する、それを一々追究してはその結果を別々の論文で発表していた。この著書の草稿は Mathem. Trip. の試験答案の裏面を利用して書いたのであった。ヘルムホルツは『ネーチュアー』誌上にこの書の紹介を書き、この書は正にタムソン―テートの『物理学』に比肩すべき名著であると云った。タムソン―テートの書物が遂に完結せずに了《おわ》った一つの理由は、レーリーのこの書とマクスウェルの『電磁気学』が出て、それで大体書くべきことは尽されたからというのであった。これはタムソン自身の
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